デザイナと仕事するときは、具体的なデザインについての指示じゃなくて、欲しい印象を伝えるのが正しいと思うにいたるまでの雑記。

水の飲めるコップをデザインしてもらうとして、陶芸作家にガラスのコップを期待するのは無理がある。
素材の特性によって、表現できる形が規定されるから。
素材の特徴を把握するのに修行するわけで。
パソコンで作るから素材の違いはないけれども、円を極めた人、矩形を極めた人とか、白の人、黒の人みたいな極め方はあるんじゃないかと思うわけです。


プログラムはインプットとアウトプットを先に決めてから作るから、ブラックボックスでも、思ったとおりの答えが出てくるのを期待するのは当然。


デザイナにとっての入力は、欲しい印象、出力は印象ということか。


でも、デザインはそうじゃない。情報を共有したら、あとはデザイナのフィルターを通して出てきたものを受け入れるしかない。
デザインを評価する人の体調や気分によっても、印象が変わるものだから。
評価する側があいまいなのに、厳密な答えを要求するのは違うと思う。


高級感という印象を伝える表現は無限にあり、そのデザイナなりの答えがあると思うから。
デザインをお願いするときは、どんなフィルターを通ってくるのか考えること。
いっぱい情報を共有して、フィルターからの出力を、いろんな働きかけして、その結果を受け入れる。


多くの人にだいたい同じ印象を与えられるデザイナ、分かる人にだけ強い印象を与えられるデザイナ、どちらもできるデザイナ、それはデザイナの器量か。
インパクトという評価軸でどうなのか考えればいいいか。


そういえば、昨日、任天堂ソクラテスについて、デザイナにどうアプローチするかって書いてあった。

「マリオのゲームを作るときは、宮本氏の構想を考慮しなければならない」と小泉氏は話す。

小泉氏によると、宮本氏はデザイナーの創造性をかき立てるため、わざとあいまいな言葉を使っているという。「宮本氏は、意識的にわれわれにパズルを解かせようとしているのだと思う。そうする過程で、われわれの側の創造性が解き放たれるのだから」

この過程での小泉氏の役割は、「(宮本氏の)抽象的な概念をかみ砕き、いくつかの異なったソリューションを提示し、宮本氏に送って反応を見る」ことだ。